大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

神戸地方裁判所洲本支部 昭和29年(タ)3号 判決

主文

一、被告秋夫と原告とを離婚する。

二、同被告は、原告に対し金九万円の支払をせよ。

三、同被告は、原告に対し金参万円及び昭和二十九年九月八日より昭和三十六年三月三十一日に至るまで壱ケ月金参千円の割合による金員の支払をせよ。

四、被告三名は、原告に対し各自金弐拾五万円の支払をせよ。

五、原告と被告秋夫との間の二女淳子及び長男一男の親権者を原告と定める。

六、原告の被告らに対するその余の請求を棄却する。

七、訴訟費用はこれを三分し、その一を被告秋夫の負担としその一を被告三名の連帯負担とし、その余を原告の負担とする。

八、この判決は、第三項のうち金参万円及び昭和二十九年九月八日より昭和三十一年五月三十一日に至るまで壱ケ月金参千円の割合による金員の支払を命ずる部分及び第四項に限り、原告において担保として被告秋夫に対し金拾万円被告三平、同たかに対し各金八万円を供するときは仮に執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は、「一、被告秋夫と原告とを離婚する。二、同被告は、原告に対し金百万円の支払をせよ。三、同被告は、原告に対し金三万円及び昭和二十九年九月八日より昭和三十六年三月三十一日に至るまで一ケ月金三千円の割合による金員の支払をせよ。四、被告三名は、原告に対し連帯して金八十五万二千円の支払をせよ。五、原告と被告秋夫との間の二女淳子の親権者を原告と定める。六、訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決並びに右第二ないし四項につき仮執行の宣言を求める旨申立て、

その請求原因として、

「(一) 原告と被告秋夫とは夫婦であり、被告三平、同たかは、被告秋夫の父母である。

(二) 原告は、昭和二十三年一月二十五日被告三平の兄訴外西山安五郎及びその妻かねの媒酌で被告秋夫と挙式の上事実上の婚姻をなし、爾来被告家において同棲し、被告らと共に、同家の家業である農業に従事して来た。被告家は田畑一町余を自作し、原告は、被告らに対し温順に仕え、農業に精励したにかゝわらず、結婚後日がたつに従つて、被告三平、同たかは、事毎に原告に小言をいつてつらくあたり、被告秋夫も両親に相和して原告に対し愛情がなかつた。かくて、原告と被告らとの仲は日に日に悪化していつた。

(三) 昭和二十三年九月九日被告らは、原告の実家(以下単に原告家と称する。)に対し、原告を一時預かつてくれといつてこれという理由もないのに原告を原告家に預けた。当時原告は姙娠していた。原告家に預けられた原告は、被告家から原告の復帰について何か話のあるのを待つていたが、被告家からは爾来何の音沙汰もなかつた。

(四) ところが、昭和二十四年一月被告家から前記の仲人西山安五郎に対し、「被告方においてある原告の嫁入荷物がじやまになるから早急に引取つてくれ、引取らなければ納屋の隅へほりこんでおく。」と再三要求したので、原告家では、被告秋夫において結婚継続の意思なく、被告三平、同たか夫婦も同意見であると認め、やむなく、同月二十五日、原告の父、上原政吉、兄、上原鉄男、弟、上原正義及び仲人西山安五郎の四名が被告家に赴き、被告らから嫁入荷物を受取つて原告家に帰つた。その際、被告方において、被告三平、たか夫婦は、右四名に対し、原告のことについて散々悪口をいつた上原告と被告秋夫とは縁がないものとあきらめてもらいたいと離婚を申し渡した。なお、被告三平夫婦は、その時原告の父に対し、「結納金一万円を返してくれ、返さなければ、嫁入荷物のうち、ふとんを差押える。」と放言し、仲人の西山安五郎がこれに対し立腹して、被告三平に対し「そんな無茶をいうなら、ささみが今まで働いた労賃を日割勘定せよ」といつたので、被告三平は、昭和二十三年一月二十五日(結婚式挙行の日)より同年九月九日(前述の如く原告が理由なく原告家に預けられた日)まで(二百二十八日間)の労賃を合計金一万二千円(一日金五十二円余の割)と不当に低い基準で算出し、該金額より右結納金一万円を差引いた残金二千円を無理に原告の父に交付した。なお、またその際原告の父らが被告三平夫婦に対し原告が臨月近い(その日の翌々日に長女しづゑを分べんした)旨告知したところ、右被告らは、右の胎児は、被告秋夫の子ではないから、生れても被告方では引取らぬと放言したので仲人の西山安五郎は再び立腹して、右被告らに対し「そのような無茶をいうのなら徹底的に争う」といい、その日は、結局近く生れるべき胎児の養育等に関する交渉は未解決のまゝ、原告の父らは嫁入荷物を受取つて原告方へ帰つた。同日被告秋夫は在宅していたが最後まで顔を出さなかつた。

(五) 原告の父らが右の如く被告方から嫁入荷物を引取つた日の翌々日すなわち同年一月二十七日原告は、原告家において長女しづゑを分べんした。そこで、早速原告の兄上原鉄男が、被方告に赴き、被告三平に対し、右生児の養育につき交渉したところ、同被告は、「そんな子はうちは知らぬ、あんたの方で勝手にしてくれ」と放言し、相手になつてくれなかつた。そこで、原告は、原告の父、兄らと協議の上、同年三月被告秋夫を相手方として神戸家庭裁判所洲本支部に離婚等請求の家事調停申立をしたところ、同年三月十日、調停が成立し、その調停条項は、原告と被告秋夫は婚姻することに合意しこれが届出を同月未日までにするというのであつた。

(六) ところが、被告秋夫は、右調停条項通り婚姻届出をせず、被告家からは調停成立後何の音沙汰もないので、同年五月二十七日仲人の前示西山安五郎の妻かねが原告と長女しづゑを連れて被告家へ行つたところ、被告三平、同たか夫婦は、「そんなに急いで子供を連れてこなくとも、うちは東京へも大阪へも逃げはしない」とか、「うちには乳牛がおるから子供の乳には少しも困らぬ」等嫌味をいゝ、原告の復帰をよろこばない様子であるので、原告はやむなく、しづゑを被告方においたまゝ原告家へ再び帰つた。

(七) その後、昭和二十六年一月頃被告秋夫は、訴外大道かつみと事実上の婚姻をしたが、同棲数ケ月で同女とも離別した。

(八) 原告は、前述の事情で前示調停成立後、被告方へ復帰することもできず、長女しづゑと共に原告家で厄介になり、味気ない日々を送つていたところ、昭和二十七年一月頃訴外西山たねが、再三原告家に来て、被告らが原告の復帰を望んでいるから、是非とも原告に復帰して欲しいと懇請したので、原告は復帰する決意をし同年三月二十八日右西山たねに連れられて長女しづゑと共に被告家に復帰したのである。

(九) 爾来原告は、被告家において、被告ら及び家族と同居し、農業に精励して来た。そして、昭和二十七年九月二十九日婚姻届出をなし、昭和二十八年一月二日二女淳子を分べんした被告三平、同たかは、封建思想が強く、近隣でも有名ないわゆる「むづかしい人間」で、平素原告を酷使した上、事毎に原告につらく当り散らしていわゆる「嫁いじめ」をなし、被告家が田畑一町余を自作し、その居宅が北阿万では比較的宏壮であるところから、被告たかは、常に原告に対し「うちは北阿万では指折りの金満家だ」といつて自慢したり、「嫁位は尻にしいてやる」など嫌味をいい、また、同居の被告秋夫の弟らも、被告三平、同たかに協調して、平素原告に対し「嫁いじめ」をなし、「うちの嫁は結構な者だ、こんな御殿(被告方居宅を指す)をもらうのだから、親に対し毎日三度、四度、手を合せて拝んでおればよい。」などと嫌味をいつた。被告らは、正月や盆の際も原告を髪結に行かせてくれないし小遣銭もくれなかつた。また、子供が生まれても衣類を作つてくれないので、原告はやむなく、原告家から作つてもらつていた。被告秋夫も、原告に対し夫としての愛情全くなく、被告三平、同たかに協調し、原告に対し事毎に小言をいい、つらくあたつていた。かくて、原告は、折角被告家に復帰したけれども、被告ら及び家族全員から白眼視せられ、いじめられ、何一つの慰安とてもなく、始終牛馬同様に酷使せられて来た。しかし、一旦縁あつて被告家に嫁し、且つ二人の子までもうけたので、難きを忍んで辛棒し、被告秋夫にはよい妻であるべく、被告三平、たかに対してはよい嫁であるべく仕えて来たのである。

(十) ところが、昭和二十九年一月二日原告は、被告らの承認を得て慣習による正月の礼のため、淳子を連れて原告家に里帰りし、同月八日被告家に帰来する予定であつたところ、同月七日被告家より原告の兄上原鉄男に話があるから、被告家に来てくれとの要求があつたので、右上原鉄男が被告家へ赴いたところ、被告らは、同人に対し、突然原告を離婚する旨を申渡した。その理由は、被告秋夫の弟藤田三郎が近所の家に遊びに行つたところ、原告が同家でその家人に対し被告三平同たか夫婦が原告につらくあたる旨を話していたのを立ち聞きしたからというのであつた。上原鉄男は、その際被告らに対し子供二人に免じて離婚を思い止まるよう懇願したが、被告らは頑としてこれをききいれなかつた。そこで、原告は、同年二月二十七日被告ら三名を相手として神戸家庭裁判所洲本支部に右離婚に関する家事調停の申立をなしたが、被告らは頑として譲歩せず、遂に調停は不調に終つた。原告が右の如く被告らから離婚を申し渡された当時、原告は、被告秋夫のたねを宿して姙娠していたところ、同年九月八日長男一男を分べんした。原告は、爾来今日に至るまで原告家において二女淳子、長男一男の二児を養育し来つたものであつて、勿論資産もなく、職業もないので、自己の生活費及び右二児の養育費は原告家において出捐しておる。

(十一) 以上の事実関係によると、原告と被告間には婚姻を継続し難い重大な事由があるものというべきであるから、原告は、被告秋夫に対し離婚を求める。

(十二) 被告秋夫は、附属建物共で建坪六十余坪ある居宅、宅地百三十坪、田四反四畝六歩、畑十八歩を所有し、被告三平は田二反七畝九歩を所有し、他の家族の所有地を合せて被告家では田畑約一町余を自作し農家としては裕福な生活をしている原告は、前述の如く結婚中被告家にある間は家業である農業に精励して来たものであり、被告秋夫に対し妻として内助の功があつたわけである。よつて、原告は、離婚に伴い、同被告に対し財産分与請求権があるわけであるところ、原告の右農業精励の点、同被告の財産の点その他諸般の事情を参酌して、右財産分与は同被告において原告に対し金百万円を支払うを以て相当と思料するから、原告は、同被告に対し本訴においてこれが請求をする。

(十三) 前述の事実関係によると、被告らは、平素原告をそれぞれ虐待し、最後には、被告ら三名共謀の上、正当の事由がないのに、原告に対し、離婚を申し渡し、よつて、離婚のやむなきに至らしめたものであるから、被告らの右所為は共同不法行為を構成する。しかして原告が離婚の結果こうむるべき精神的苦痛は甚大であるから、被告らは、原告に対し右苦痛を慰藉するに足る金員を賠償すべき義務がある。右慰藉料額は諸般の事情を参酌して金八十五万二千円を以て相当と思料するので、原告は、被告三名に対し右慰藉料の連帯支払を本訴において請求する。

(十四) 原告は、前述の如く、昭和二十九年九月八日原告家において長男一男を分べんしたのであるが、その出産に関する費用として別紙目録(省略)記載の合計金三万四十円を出捐した。右出産費用は本来被告秋夫において出捐すべきものであるから、同被告は、原告に対し右出捐金を償還すべき義務があるわけである。よつて、原告は、同被告に対し本訴において右出捐金三万四十円の内金三万円の償還支払を求める。

(十五) 長男一男は、将来適当の時期において、被告秋夫の監護に委せる考であるが、現在は、幼児である関係上、母である原告のもとにおいて監護する方が好都合であると思料する。しかし、原告は、後示の如く二女淳子を将来監護してゆく積りである。そうすると、無職無資力で、原告家の厄介になつている原告としては淳子の養育費だけで手一杯である。故に長男一男の養育費は資力十分の被告秋夫においてこれを負担すべきである。よつて、原告は、同被告に対し、長男一男が出生した昭和二十九年九月八日より同人が小学校に入学する日の前日である昭和三十六年三月三十一日に至るまで一ケ月金三千円の割合による養育費の支払を本訴において求める。

(十六) 前述の如く、二女淳子は、原告において将来これを監護してゆく積りであるから、原告は、離婚の場合における同人の親権者を原告と定めることを希望する。なお、長女しづゑは昭和二十六年六月五日訴外長田秀吉、その妻数江と養子縁組をなし、現在は同人ら夫婦においてこれを養育しておる。

(十七) 以上の次第であるから、原告は(1)被告秋夫に対し離婚を求め、(2)同被告に対し前示財産分与金百万円の支払を求め(3)同被告に対し長男一男の出産に関する費用金三万円、及び昭和二十九年九月八日より昭和三十六年三月三十一日に至るまで一ケ月金三千円の割合による右一男の養育費の支払を求め、(4)被告三名に対し前示慰藉料金八十五万二千円の連帯支払を求め、(5)二女淳子の親権者を原告と定めることを求めるため、本訴請求に及んだものである。」

と述べ、

被告の答弁事実中、原告の主張事実に反する部分は全部否認すると述べた。(立証省略)

被告ら訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、

答弁として

「(一) 原告主張の(一)の事実は認める。同(二)の事実中原告が、その主張の者らの媒酌により、その主張の日時、被告秋夫と挙式の上事実上の婚姻をなし、爾来被告家において同棲し、同家の家業である農業に、従事して来たことは認めるが、その余の事実は争う。同(三)の事実中、昭和二十三年九月九日、被告らが原告を原告家に預けたことはこれを認めるが、その余の事実はこれを争う。同(四)の事実中、昭和二十四年一月二十五日、原告主張の者らが被告家へ来て原告の嫁入荷物を受取つてこれを持ち帰つたこと、その際、被告秋夫より原告に対し金一万二千円を支払い、原告より同被告に対し結納金一万円を返還することとし、その清算をしたこと、なお、その際、原告が当時姙娠中の胎児のことについては交渉が未解決となつたことはこれを認めるが、その余の事実は否認する。同(五)の事実中、原告が昭和二十四年一月二十七日原告家において長女しづゑを分べんしたこと、同年三月原告が被告秋夫を相手方としてその主張の裁判所にその主張の家事調停の申立をなし、その主張の日時その主張のような条項の調停が成立したことはこれを認めるが、その余の事実は否認する。同(六)の事実中、昭和二十四年五月二十七日仲人の西山かねが原告と長女しづゑを連れて、被告家に来たこと、同日被告らが長女しづゑを引取つたことは認めるが、その余の事実は争う。同(七)の事実は認める。同(八)の事実中、訴外西山たねらの勧告により被告らが原告の復帰を承認し、昭和二十七年三月二十八日原告が被告家に復帰したことは認めるが、その余の事実は争う。同(九)の事実中、原告が復帰後被告家において、被告ら及び家族と同居し、爾来農業に従事し来つたこと、原告主張の各日時婚姻届出がなされ、二女淳子が出生したことは認めるが、その余の事実は全部これを否認する。同(十)の事実中、原告が昭和二十九年一月二日頃二女女淳子を連れて原告家に帰つたこと、同年二月二十七日原告が被告らを相手方としてその主張の裁判所に離婚に関する家事調停の申立をなしたが、調停不調に終つたことは認めるが、長男一男が出生したことは知らない。その余の事実は争う。同(十二)の事実中、被告秋夫同三平及び家族らの資産状態は争う、また原告主張の財産分与額も争う。同(十三)の事実は争う。同(十四)の事実中、長男一男出生の点は不知、その余の事実は争う。同(十五)の事実中、一男の養育費が一ケ月金三千円であることは争う。

(二) 原告は、昭和二十三年一月二十五日挙式の上被告秋夫と事実上の婚姻をなし、爾来被告らと被告家において同棲していたところ、日を経るに従い気まゝ、高慢になり、また原告家の者らは、被告家では嫁を呼びすてにするとか、仕事をさせ過ぎるとかいゝ、なお原告家では、原告を原告家に引き取る考であるとかいう話も被告らの耳に入つたので、原告と被告らの仲がうまくゆかず、家庭内が円満でなかつたので、被告らは、同年九月九日原告を一応原告家に預けたのである。

(三) ところが、昭和二十四年一月二十五日原告の父、兄、仲人西山安五郎らが原告の嫁入荷物を引取りに被告方へ来たので同日双方協議の上、被告秋夫は、原告に対し原告の嫁入荷物全部を引渡し、且つ、金一万二千円を支払うこと、原告は、被告秋夫に対し結納金一万円を返還すること、原告と同被告は事実上の離婚をすることと定め、即日右金員の授受を了し原告の父らは嫁入荷物を受取つて引き上げたのである。同日は、原告が当時姙娠中の胎児のことについては交渉は未解決であつたが、その翌々日長女しづゑが生れたので、原告は、その主張の如く同年三月被告秋夫を相手方として家事調停の申立をなし、同月十日原告主張の調停が成立したのである。

(四) そこで、被告秋夫は、同年三月未日までに、吉日を選んで原告及び長女しづゑを迎えに行くはずであつたが、同被告の弟の分家の建築に追われ日を過すうち、同年四月九日右調停の件につき、神戸家庭裁判所洲本支部より呼出を受け、平見調停委員に今までの事情を話した上、原告及び長女しづゑの親子二人だけで被告方へ来てもらうよう原告に通告してもらいたい旨依頼しておいた。ところが、同年五月二十七日原告は、長女しづゑを連れ、仲人西山かねと共に被告方に来り、被告らに対し、原告において被告家に復帰する意思はないから、長女しづゑを被告家で引取り養育してくれと申し出たので、被告らは、原告に対し、離婚の点はともかくも、生後六ケ月のしづゑに対し母乳のあるだけ飲ませて養育してくれ、養育費は被告家において充分に支出するからと懇願したが、原告は頑としてこれを聞き入れなかつた。そこで、被告らはやむなく原告の右申入を承諾し、長女しづゑを引取り、被告秋夫と原告とは同日限り事実上の離婚をすることになつたのである。

(五) 右のような次第になつたので、被告秋夫は、昭和二十六年一月二十五日原告主張の如く、訴外大道かつみと事実上の婚姻をし、同棲したが、夫婦仲が円満を欠いたので、僅か三ケ月で双方協議の上事実上の離婚をしたのである。

(六) その後上述の離婚事情を知つた訴外西山嘉一、平藤こしを西山たねらが、被告らに対し、原告はまだ独身で居り、被告家に引取られた長女しづゑが可愛いといつており、今までとは違つて気も折れている故に、長女しづゑのためを思い原告を再び被告秋夫の妻とするよう再三勧告したので、被告らも原告と被告秋夫の再婚に同意し、かくて、原告は昭和二十七年三月二十八日被告家に復帰し、同被告と再び事実上の婚姻をなし、同年九月二十九日婚姻届出がなされるに至つたものであつて、右再婚は、原告主張の如く、被告らから積極的に訴外西山たねらに懇請した結果ではない。

(七) 上述の如く、原告は、再婚後、被告らと被告家において同棲し農業に従事し、昭和二十八年一月二日二女淳子を分べんしたが、従前通り気まゝ、高慢で家庭の風波を起すので、被告らは、原告の兄、上原鉄男に来てもらつて、原告に意見をしてもらつた。その際鉄男は、被告らに対し、今後原告においてかような不始未があつた場合は原告を原告家に引取る旨を確約した。

(八) ところが、原告は、被告たかが、分家をしている被告秋夫の弟の嫁の産後の世話をしてやつたことにつき、ひがんだ根性を起し、右の嫁実母らに対し、今の間こそ被告三平夫婦に父母として仕えておるが、同人らが老いて動けぬようになつたら、分家の弟に世話して貰い、原告は同人らの世話はしない旨の暴言をはいたことが、被告らに知れ、そのため一家の波乱を起したので、被告らは、原告の兄である前示上原鉄男に来て貰い前示確約に従い昭和二十九年一月二日原告を原告家に連れて帰つてもらつたのである。

(九) 被告秋夫、同三平らは、田畑を所有しているが、その面積は、原告主張の如くではなく、合計して田七反四畝、畑三畝を自作しているに過ぎぬ。また、原告主張の如く、被告らは原告に対しつらくあたつたり、酷使した事実はない。原告は盆、正月に被告らが原告を髪結いに行かせなかつたと主張しているが、被告らにおいて行くのをとめたのではなく、原告が勝手に行かなかつたに過ぎぬ。被告らは、原告に対し小遣銭も正月には金八百円、盆には金五百円、お祭には金三百円夏祭、運動会には各金百円を与えていたし、淳子の衣類等についても、原告家より出産祝の産着として振袖着物一枚、おいご一枚、抱きふとん一枚を贈られただけで、その余のものは全部被告家において作つたものである。

(十) 以上の次第であるから、原告の被告秋夫に対する離婚、財産分与、長男一男の出生に関する費用、同人の養育費の各請求、被告ら三名に対する慰藉料の請求はいずれも失当である。」

と述べた。(立証省略)

理由

第一、被告秋夫に対する離婚請求について、

公文書である甲第一、三号証、甲第四号証の一ないし九、甲第五号証の一ないし、四、甲第十一号証の一ないし四、乙第一、二号証、原本の存在並びに成立につき争がないから、原本の存在並びに成立を認め得る甲第二号証、証人上原鉄男、同土井伊三太、同西山たね、同西山嘉一、同大道かつみ、同長田かずゑ(一部)の各証言、原告本人の供述及び弁論の全趣旨を総合すると、原告主張の(一)ないし(十)の各事実(但し、被告家自作の田は、七反五畝位、畑は、四畝位である。)が認められ、証人西山こよね、同藤田幸子、同藤田高雄、同長田かずゑの各証言及び被告藤田三平本人の供述中、右認定に反する部分は、いずれも前示各証拠に照して、たやすく措信し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。被告秋夫は、原告が昭和二十九年一月二日最後に原告家に帰るに至つた事情は、被告ら主張の(八)のとおりであると主張するけれども、前示証人西山こよね、同藤田幸子、同藤田高雄、同長田かずゑの各証言、及び被告藤田三平本人の供述中、右主張事実に合致する部分はいずれも、前示各証拠に比照して信用をおき難いし、他にこれを認めるに足る証拠はない。

右認定の事実関係によると、原告は、被告らから始終虐待を受け、被告秋夫は、原告に対し夫としての愛情は全くないものであつて、原告と同被告とに対し将来円満な夫婦関係の継続を期待することは、全く不可能であることが明かである。かような事情にある以上、原告と同被告間には民法第七百七十条第一項第五号にいわゆる「婚姻を継続し難い重大な事由」があるものというべきであるから、これを原因として同被告に対し離婚を求める原告の本訴請求は正当である。(もつとも、右認定の事実によると、被告らが、昭和二十九年一月七日原告の兄上原鉄男を通じて原告に対し離婚する旨申渡したのは、原告が隣人に対し被告三平、たか夫婦が原告につらくあたる旨を話したことを直接の理由としているが、仮にかゝる所為が原告にあつたとするも、前認定の如く、平素被告らから継続して虐待を受けて始終苦悩していたかよわい女の身である原告が、たまたま隣人に、しうと、しうとめのつらくあたる旨を告知するようなことは、後示の如く小学校だけしか出ていない教養の低い農家の嫁である原告の如き者には通常あり得ることで、道徳的にもさまで批難すべきことではない。従つて、かようなことを理由に、三人の子まである原告に離婚を申し渡し弊履のように捨て去る被告らの所為は決して妥当とはいえない。従つて、原告に、たとえ、右のような所為があつたとしても、右離婚原因の認定に何ら消長を及ぼすものではない。)

第二、被告秋夫に対する財産分与の請求について

公文書である甲第四号証の一ないし九、乙第二号証によると、被告秋夫は、昭和二十二年、二十三年において自作農創設特別措置法による売渡により、宅地百二十九坪、田四反四畝六歩、畑十八歩の所有権を取得し、昭和三十年十月十二日右田のうち、二反八畝九歩を被告家の家族である訴外藤田五一に譲渡したものであることが認められる。そして被告秋夫の右土地の取得については、原告にその内助の功があつたとはいえないが、前段認定の事実関係によると、原告は、結婚中前後を通じ約二年六ケ月の間被告家において、被告秋夫所有の右土地及びその余の家族所有の土地の耕作に従事して、家業の農業及びその余の家事に精励し、以て被告秋夫に対し妻として内助の功があつたことが認められるから、原告は、離婚にあたり、同被告に対し財産分与請求権があるわけである。そして、右の如く原告が右農業及び家事に精励した事実に、前段認定の昭和二十四年一月二十五日原告の父が被告方において原告の嫁入荷物を受取つた際、昭和二十三年一月二十五日(結婚式挙行の日)より同年九月九日(原告が理由なく原告の実家(以下単に原告家と称する)に預けられた日)までの原告の労賃として金一万二千円の支払を受けた事実及び鑑定人井口亀市の鑑定の結果により認められる被告秋夫の現有の現有土地の時価が約百万円である事実等を彼此参酌すると前記財産分与は、被告秋夫より原告に対し金九万円を支払うを以て相当と認める。故に、原告の同被告に対する財産分与請求は右金額を求める限度において正当であるが、その限度を超える請求は失当である。

第三、被告三名に対する慰藉料請求について

前示第一において判断したように被告秋夫は離婚原因につき責任がある。原告と被告三平、同たか間においては、右第一の挙示の各証拠により右第一において認定したと同一の事実が認定せられる(もつとも、右認定事実中には関係当事者間に争のない事実もある)。そして、右認定事実によると、被告三平、同たか両名の各所為が被告秋夫の所為と相競合して離婚原因を形成するに至つたものであることが明かである。換言すれば、本件離婚は被告らの故意または少くとも過失に基く相競合した不法行為に因るものであるといわなければならない。そして右離婚のため、原告のこうむるべき精神的苦痛は勿論甚大であるから、被告らは、原告に対し右苦痛を慰藉するに足る金員を賠償すべき義務があるところ、被告らの右慰藉料賠償の債務は、いわゆる不真正連帯債務の関係にあるものと解する。そこで、慰藉料の金額について考えるに、前段認定の如く、原告が昭和二十三年一月二十五日被告秋夫と挙式の上事実上の婚姻をして以来今日に至るまで八年余の長きにわたり希望多き二十才代の人生を失意と苦悩に満ちた波乱万丈の生活のうちに過ごしてしまい、なお、将来も幼い二児をかゝえて、いばらの道を歩まねばならぬ運命にあること、原告が無資産で、しかも右二児の故に、一定の職業にも就けないこと、原告本人の供述によつて認められる、原告が被告秋夫と最初に結婚したときは、原告は初婚でなく再婚であつたこと、原告は高等小学校を卒業していること、及び原告家は田畑七反余を自作している農家であること、前示認定の被告秋夫が時価約百万円の土地を所有していること、原告本人の供述によつて認められる、同被告は、高等小学校を卒業していること公文書である甲第五号証の一ないし四、乙第一号証、鑑定人井口亀市の鑑定の結果により認められる被告三平は、木造瓦葺平家建の居宅(建坪は附属建物共で六十余坪)、田二反七畝九歩を所有しており、右不動産の時価は合計百十七万円位であること、前認定の如く、被告家は、田七反五畝位畑四畝位を自作する農家であるが、淡路ではこの程度の農家は中流以上の裕福な部類に属するものであること(この点は淡路では公知の事実である。)その他諸般の事情を総合して考えると、被告らが、原告に対して賠償すべき慰藉料額は金二十五万円をもつて相当と認める。そして、前述の如く被告らの右慰藉料賠償債務は不真正連帯債務の関係にあるから、被告らは原告に対し各自金二十五万円を支払うべき義務があるわけである。故に、原告の被告らに対する本訴慰藉料請求は右の限度において正当であるが、右限度を越える請求は失当である。

第四、被告秋夫に対する長男一男の出産に関する費用及び養育費の請求について

民法第七百六十条によると、夫婦は、その資産、収入その他一切の事情を考慮して、婚姻から生ずる費用を分担すべきものであるところ、同条にいわゆる「婚姻から生ずる費用」には、夫婦自身の生活費は勿論のこと、未成年の子の生活費、教育費も、当然に包含さるべきものであると解する。原告が昭和二十九年九月八日原告家において原告と被告秋夫間の長男一男を分べんしたことは、前段認定のとおりであり、前示証人上原鉄男の証言により真正に成立したと認める甲第八ないし十号証の各一、二、右証言及び原告本人の供述を総合すると、原告は、右出産の際、その出産に関し必要な費用として別紙目録(省略)記載のとおり合計金三万四十円を出捐したことが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。そして、右費用は全部、民法第七百六十条にいわゆる「婚姻から生ずる費用」に包含されるべきものであると解するから、同条によりその分担を定めるべきものであるところ、前認定の如く原告は、右分べん当時は、原告家に厄介になつており、無資産でしかも無職であつたにひきかえ、被告秋夫は、前認定の如く田畑を有し、被告家において被告三平、同たからと共に右田畑を合して田七反五畝、畑四畝を自作して農業に従事し裕福な生活をしていたこと等を彼此参酌して考えると、右費用は、全部被告秋夫をしてこれを分担せしめるを相当と認める。そうすると、同被告に対し右費用の内金三万円の償還を求める原告の本訴請求は正当である。

次に右一男は幼児であるから、母である原告において監護する方が好都合であり、原告本人の供述及び弁論の全趣旨によれば、原告自身も一男が小学校に入学するまで自己の手もとにおいて養育する希望であることが認められる。故に、当裁判所は、一男は原告においてこれを監護するを相当と認め後示の如く、同人の親権者を原告と定めるわけである。そして、一男の出生後、小学校に入学する日の前日までの養育費もまた、前説示の如く民法第七百六十条にいわゆる「婚姻から生ずる費用」に危含されるべきものであるから、同条によりその分担を定めるべきものであるところ、前記出産に関する費用につき認定したと同一事情に、後示の如く原告を二女淳子の親権者と定め、原告をして同女を監護せしめる事情を合せ考えると、一男の右養育費もまた被告秋夫をしてその全部を負担せしめるを相当と認める。よつて、同被告は、原告に対し、一男が出生した昭和二十九年九月八日より同人が小学校に入学する日の前日である昭和三十六年三月三十一日に至るまで一ケ月金三千円の割合による養育費(原告本人の供述により、一男の養育費は一ケ月少くとも金三千円を必要とするものであることを認める。)の支払をなすべき義務があるものというべきであつて、該義務の履行を求める原告の本訴請求もまた正当である。

第五、二女淳子及び長男一男の親権者の決定について、

前認定の如く、原告と被告秋夫間の二女淳子及び長男一男は、いずれも未成年者であつて、現在原告家において原告の手によつて監護せられている。そして、長男一男については、当裁判所も同人が原告によつて監護されることを相当と認めることは前示のとおりである。原告本人の供述によれば、原告は、二女淳子は将来も引続き原告において監護することを希望しておることが認められ、これに諸般の事情を合せ考えると、当裁判所もまた二女淳子の監護は原告をしてなさしめるを相当と思料する。以上の如くであるから、右未成年者両名の親権を原告と定めるを適当と認め、民法第八百十九条第二項、人事訴訟手続法第十五条により、原告を右両名の親権者と定める。

第五、結論

以上の次第の次第であるから、原告の本訴請求は、(1)被告秋夫に対し離婚を求め、(2)同被告に対し前示財産分与金九万円の支払を求め、(3)同被告に対し長男一男の出産に関する費用金三万円及び昭和二十九年九月八日より昭和三十六年三月三十一日に至るまで一ケ月金三千円の割合による右一男の養育費の支払を求め(4)被告三名に対し各自前示慰藉料金二十五万円の支払(不真正連帯債務)を求める限度においてこれを許容し、その余の請求は失当としてこれを棄却し、なお、原告と被告と被告秋夫間の二女淳子及び長男一男の各親権者を原告と定める。

原告は、被告秋夫に対し財産分与として金銭支払を命ずる部分について、仮執行の宣言を求めているが、その給付義務は、本判決確定の時に発生するものであり、従つて本判決確定前にこれが仮執行は許されるべきものでないから、この部分についての仮執行宣言の申立は許容しない。また、原告は、被告秋夫に対し昭和二十九年九月八日より昭和三十六年三月三十一日に至るまで一ケ月金三千円の割合による金員(長男一男の養育費の支払を命ずる部分についてもその全部につき仮執行の宣言を求めているが、右のうち、昭和二十九年九月八日より昭和三十一年五日三十一日(本件最終口頭弁論期日である昭和三十一年六月八日以前)に至るまでの右割合による金員の支払を命ずる部分についての仮執行宣言の申立はこれを許容すべきであるがその後の金銭支払の部分に対する仮執行宣言の申立は相当でないと認めるのでこれを許容しない。原告の被告秋夫に対する出産に関する費用金三万円及び被告ら各自に対する慰藉料金二十五万円の支払を命ずる部分に対する仮執行宣言の申立はいずれもこれを相当と認めて許容する。

よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条、第九十二条、及び第九十三条、仮執行の宣言につき同法第百九十六条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 安部覺)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例